「同行者がいることは、事前に連絡しておいた筈だが?」

 眉を寄せ、幾分苛立った表情で昴が問う。二人を出迎えた屋敷の使用人たちは、昴と共に訪れた大河が門をくぐることすら拒む素振りを見せたのだ。歓迎されないであろうと予感はしていたものの、ここまであからさまな態度を取られるとは思わなかった。

「とにかく客間の用意をするように。自分はこれから御当主に挨拶に伺う」

「当主?」

「僕の母だ」

 御当主…仮にも自分の母親をそう呼ぶなんて…物言いたげな大河の視線を受け、昴は苦笑を浮かべて言った。

「大河、この程度でいちいち腹を立てていては身が持たないぞ。多少失礼な真似をされても相手にするな」

「はい…」  

「それから…言うまいと思っていたが、ここでは言葉に気をつけろ。君には難しいだろうが、自分の本心を悟られるな。決して余計なことは喋らないように。…じゃ、すぐ戻る」

 穏やかでない忠告を残し、昴は去って行った。




 広い中庭にぽつんと一人取り残されて、昴の言葉を思い出しながら、大河は言いようの無い淋しさを感じていた。あれは、この家に関わるなという昴の忠告だ。身内に対しては誠心誠意を込めて尽くす代わりに、そうでないものは徹底的に排除しようとする。この家は、決して自分を受け入れようとはしない。

 紐育にいた頃も自分が一人だと感じることは何度もあった。しかしこんな思いをすることは無かった。少なくともあの街では、孤独を誇ることが許されていた…。

(自分もあっちの空気に馴染んでしまったのかなあ。紐育が何だかすごく懐かしく感じる)


「何者だ」

(うわっ!?)

 突然背後から降ってきた低い声に、大河は飛び上がらんばかりに驚いた。いつの間に人が近づいていたのか、気配が全く感じられなかった。

「あ、あのボクは、別に怪しい者じゃないです。昴さんの連れで、さっきここに着いたんですが…」

 些か間抜けな受け答えをしながら、大河は話しかけてきた男を見た。大河よりも頭一つ分高く、目の前に立たれるだけで威圧感を覚える。物腰に全く隙が無く、使用人の服装をしているが単なる下働きには見えない。屋敷の用心棒といったところだろうか。

 大河自身剣術の腕には覚えがある。その感覚が教えていた。この男、相当できる…。

「昴様の護衛役か?あの方に護衛が必要とは思えんが…単なる荷物持ちならば納得がゆく」

「あ、だから、違うんです」

「では何だ」

「何だ…って」

 大河は言葉に窮した。先ほどの使用人達からは胡散臭げな眼差しを向けられるだけだったが、この男が自分に向けてくるものは警戒心を通り越して敵意に近い。知り合いとか友人とか説明したぐらいでは、すぐにでも叩き出されそうな迫力があった。

「何者かはともかく、いい加減名乗ったらどうなんだ」

 名乗りを上げないのは自分も同じだろうと、大河は少なからず怒りを覚え、挑むように男を見返した。

「自分は、大河新次郎。昴…の、婚約者です」

 そう答えてひとまず相手の反応を伺った。後で昴にばれたら怒られるかもしれないが、その時は謝ればいい。

「何?」

 男の顔色が俄かに青ざめた。

「まさか、そうなのか?…そういうことなのか?」

「え?」

 予想以上に顕著な反応に大河が却ってたじろいだ時、背後から押し殺した低い声が響いた。

「…昴は警告する。九条の家を知らない者が迂闊にそのような冗談を口にするものではない、と」

 またも気配を感じさせない相手がいつの間にか側へ来ていた。 

「昴さん…」

 昴は無言で大河の前に立つと、いきなりその頬を張った。

「!」

「恥を知れ」

 怒りを込めて大河を睨めつけ、昴は男に向き直って言った。

「狭霧、まさかとは思うが、この男の言うことを真に受けたわけではあるまいな?」

 狭霧と呼ばれたその男は、ただ黙って昴の前に跪き一礼する。

「これが婚約者なんてとんでもない。ただの僕のファンだ。無理矢理押しかけてきて滞在しているだけのこと」

「昴さん…!」

 昴は振り向き、声を荒げた。

「いい加減黙れ大河!もう何も喋るな。…頼むから」

 しかしその声は次第に細くなり、寄せられた眉が一瞬泣きそうな形に歪んだ。

「…もういい。下がれ、狭霧」



 ようやく二人きりになれたものの安堵の気分には程遠く、ただ気まずさだけが二人を包む。

「今更言っても仕方の無いことだが…言葉には気をつけろと」

「ボクに婚約者だと言われたこと、そんなに嫌だったんですか」

「大河、そういうことでは…」

「すみませんでした」

 はっとした昴に背を向け、大河は大きくため息をついた。

「ここは息苦しい」

「大河…」

「昴さんには悪いけど…この家からは、関わりの無い他人を排除しようとする思いが伝わってきて、居たたまれなくなる。早く、帰りたい」

 苦しかった。昴から投げつけられたひどい言葉が、それを言った昴の悲しげな顔が、そんな表情をさせてしまった自分自身への腹正しさが、心を苛む。この場所では自分が自分でいられない、そんな気がした。

「本当にすまない、大河…」

「謝らないで下さい。ボクが、ちょっと我儘を言ってみただけです」

「あの男を恨まないでくれ。狭霧は早くに両親を亡くして、幼い頃からこの家に仕えている。九条家のためならば命も懸ける人間だ。当主の信頼も厚い。君に対する態度も決して悪気あってのことではないんだ」

「だからいいんです。もう気にしてませんから」

 大河は狭量な自分にいい加減嫌気が差した。昴の口から、あの男をかばう言葉を聞くのが嫌だった。下らない嫉妬だ。

「大河…さっき君に後悔しているのかと訊いたが、それは多分僕の方だ。何も知らない君をここまで連れて来て無意味に傷つけるなど、僕の本意ではなかった」

「昴さん?」

「すぐに終わる。終わらせてみせる。こんな茶番は…」

 昴は小さく呟き俯いて拳を握り締めていた。その時だった。


「大河新次郎殿」

「は…っ、はい!」

 狭霧が、今度は数名の使用人を連れて再び二人の前に現れた。さっきとは打って変わった慇懃な態度で大河に礼を取る。

「先程は失礼した。当主様がお呼びです」

「え?」

 狭霧と共に歩いてきた侍女が、彼に倣い深く一礼した。

「大河殿が昴様の招待したお客人であることを確認いたしました故、御当主が直接お話ししたいとの仰せでございます。…どうぞこちらへ。私がご案内いたします」

「で、でも…」

 大河は助けを求めるように昴を見た。

「行くといい。当主の意思なら。くれぐれも失礼の無いように」

 小さく頷き踵を返す大河を見送り、昴もまた自室に戻ろうと歩き始めた。しかしその時、残っていた使用人達が昴を取り囲み、行く手を阻んだ。

「…何の真似だ」

 その中から狭霧が一歩進み出た。

「昴様、こちらへ…」

 それは自らが仕える主人に対するものとは思えない、有無を言わさぬ口調だった。


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